他者に対する認知が、自らのメタ認知に先立ちます。それは、透明な水たまりにインクを一滴落としたときの物理現象に例えることができます。インクは私で、水たまりは他者です。一滴は波紋を起こし、その色は薄まっていきます。私たちはこの変わりようから自らを知るのです。ただし、水たまりが大きくなればなるほど、相対的に波紋は小さく色も素早く無色に近づきます。これは、他者がグループから組織へと大きくなるに従って自己の存在感がより希薄になることを意味します。では、そんな中にあって自分を見失わないようにするためにどうすることが必要なのでしょう。
意識現象的な捉えのもとに考えてみたいと思います。「わたし」には、主観の「わたし」、主体(自己の人格性)の「わたし」、物質的な「わたし」があります。これらを〝私〟(図26参照)、「私」、『私』と表すとしましょう。これらは他者にも同様に存在します。他者にとっての〝私〟、「私」、『私』です。それらは、〝私〟からすれば、〝他者〟、「他者」、『他者』です。一般に〝私〟から『他者』を捉えることは知覚によって可能です。しかし、〝他者〟や「他者」を捉えることはできません。なぜなら、例えば〝私〟が「他者」を意識しているとき、それは〝他者〟にとっての「他者」ではなく、あくまでも〝私〟の経験による「他者」にすぎないからです。自分を見失わないためには、少なくともこの事を前提に対話する事が必要なのです。(第4講 共生的アイデンティティ構築のムーブメントより抜粋加筆)
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