ベネディクトは、恥を「他人の批評に対する反応」[ベネディクト2008]と定義しています。そして、「日本人は罪の重大さより恥の重大さに重きを置いている」[同書]と指摘しています。漢字の造りも「耳」偏に「心」と書きます。それは、耳に意識が向いていること、噂や評価などを気にしていることを表しています。(第3講 恥を基調とする日本文化より抜粋)
これは「現在の印象に伴い、そして多数の過去の印象およびそれらの相伴によって生み出される信念」[ヒューム2012]によるものです。そして、この信念は、「直接に生じるのであって、理性あるいは想像が新たに作用するものではない」[同書]のです。
日本的な恥と関連する言葉に「チャンとする」があります。チャンとするとはどういう意味かと聞かれると、周りから恥ずかしいと思われない振る舞いという答えがふさわしいでしょう。つまり私たち日本人には、チャンとしなければ恥ずかしいという通念があるのです。これが理性や想像を凌駕しているのです。(第3講 コンプレックスの観念より抜粋加筆)

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