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生きづらさの背景にある学問性とは?

執筆者の写真: 竹村哲竹村哲

更新日:6 日前


・学問の危機はなによりも、学問が〈生〉に対する意義を失ったことにあり、そのことはとりわけ、学問を単なる〈事実についての学〉に還元する実証主義的な傾向のうちにみられる。[中村1992]


フッサール[フッサール2011]は、『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』において学問の理念として考察方向全体の転換を唱えています。それは客観的に確定しうるものだけを真理と認める(事実学の)学問性から、主題設定として自由の主体としての人間性を、その方法として生存全体における生の意味づけに焦点化した学問性への発展と言えます。ただ21世紀になってもこの転換は未だ一部の領域でかつ微かでしかありません。その理由は、私たちの世界観は、まさに実証科学によって規定され、それが齎す確かな「繁栄」によって眩惑されているからです。しかし、純心な若者は、この学問性に違和感を覚えます。学校で学ぶ事実学は、自らの人生の意味について何も語ってくれないからです。自由にも向き合わせてくれないからです。不登校やいじめは事実学偏重の学問性の不全性を訴える悲痛なサインなのです。たとえ表面を繕っても、根本が変わらなければまた新たなほころびがでてきます。いじめに対する防止策と再発の堂々巡りを何十年にわたりしてきているのはその顕れなのです。(第1講 教師が変われば子どもは変わるより抜粋加筆)


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