RADWIMPSの『正解』の歌詞は、子どもたちに「ダメな人間」と感じさせてしまう原因を浮き彫りにしています。歌詞には、「・・・答えがある問いばかりを教わってきたよ〈中略〉そのせいだろうか、僕たちが知りたかったのは、いつも正解など大人も知らない、喜びが溢れて止まらない夜の眠り方、悔しさで滲んだ心の傷の治し方、傷ついた友の励まし方・・・」と綴られています。内面を豊かにしたいという子どもの希望に応えない教師の姿が浮かび上がるのです。(第1講 ダメな人間より抜粋)

佐伯は、「受験勉強を経た学びを通じて、子どもたちは自らの『能力』を意識し、それを『変えることができないもの』とする『固定能力観』を持つようになる」[佐伯1998]と指摘しています。第1講第1章でも触れましたが、今の学校教育では生産性のある人間を育てようといった教育観が根底にあって、その結果、子どもたちに対して、勉強ができたら出世のレールに乗った勝ち組、できなかったらそこから落ちこぼれてしまった負け組というような優劣意識を植え付けてしまっているということは認めざるを得ないと思います。つまり、固定能力観は学校文化によって過度に一般化されたコンプレックスです。教育現場には、子どもの将来のためにはより有名な大学や安定した企業に行かせた方がいいという考えがあることは否定できないと思います。確かに、それは子どもに対する一つの愛情の顕れではあるのだけれども、一方で、このような疎外感を持った子どもを生み出しているということを忘れてはなりません。私たち教師が、一部の子どもに「ダメな人間」だと思わせてしまうことに対し、「それはやむを得ないことなのだ」と言える教師は誰ひとりいないと信じます。(第3講 「ダメな人間」を生む学校文化より抜粋)
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