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見ると観るとは?

更新日:6月3日

私は、生理的に目が行くことを見る、主体的に目をつけることを観ると区別しています。漫然か専心かの違いが両者にあると考えているのです。

この区別は、潜在的に存在します。極端な例えとして、上図は何に見えますか。立方体ですか。でもよく観てください。すると頂点が空間的に前後に入れ替わって見えたと思います。このゆらぎは、ダマシオ[2012]の言葉を借りれば、印象にあたる中核意識の状態を説明する役目の中核自己が言わば右往左往している様子と言えます。一般に、視覚回路は対象と人体との相互作用によって活性化した脳内の感覚領域と運動領域の中にマッピングされます。しかし、この図(ネッカーキューブ)の場合は、これに関して感覚領域に異なるマッピングが生まれることで運動領域との間に安定的な二次マッピングができないことから、脳がその修正(try & error)を繰り返していると考えられます。「視覚情報」と「観念の現れである言葉」とは必ずしも符号しているわけではありません。したがって一見して変哲のない対象であっても観ることで気づいたり疑問を抱いたりするのです。ちなみに授業参観という言葉がありますが、この意味とは授業場における子どもを観ることです。あなたは、子どもの姿を観過ごしてはいませんか。【第3講 印象より抜粋加筆】

©2022 フォーラム『学びと教師』

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